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2017-11-08 (水) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
11月4日の土曜日に、伊豆の下田まで行ってきました。
10月10日に姉が亡くなったので、遺骨をもらいに行ったのです。
お通夜などに行かなかったのは、私がパニック障害なため急な外出ができないからです。
それに義兄に会いたくなかったのもあります。

遺骨は姪の家に安置されています。
駅まで姪が迎えに来てくれました。
闘病中姉が寝ていた部屋に、祭壇がしつらえてありました。
遺影の姉は、微笑んでいい顔をしていました。
入院前に髪を切った時に撮ったもので、ごく最近の姿です。

お参りをしてから、遺骨を分けてもらいました。
分骨のために、小さな手作りガラスの器を用意していきました。
容器が小さいので、小さめのお骨を5つもらいました。

DSCN4477.jpg DSCN4478.jpg DSCN4479.jpg ここにお骨が入っています。

スケスケなので、上下に綿を入れました。
49日が済んだら、仏壇に安置するつもりです。
姉も体の一部が実家に帰れて、喜んでいるかもしれません。

分骨の後は、昼食をとりながら思い出話などをしました。
そして姉が着ていた洋服も、数枚分けてもらいました。
短い滞在時間でしたが、行って良かったです。
姪がとても良く気遣って供養してくれています。
仏壇も買ってありました。
これで一安心して、夕方帰宅しました。
2017-11-06 (月) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
Kさんは、T吟詠会という詩吟教室を主催しています。
秋の会が終わってから、毎日Kさんから電話がくるようになりました。
あなたをもっと上手にしてあげるから、詩吟を習いにきなさいと言うのです。
毎日毎日電話攻めです。
電話口で「歌ってごらんなさい」と言われたこともありましたが、拒否しました。
とうとう根負けして、詩吟を習うことになりました。

詩吟の弟子になってからは、いろいろなところに連れて行かれました。
詩吟には関係のない、プライベートな遊びに付き合わされるのです。
それも「来なさい」という命令口調です。
嫌々付き合っていました。
Kさんにとっては、子分ができたような気持ちだったのでしょう。
物もいろいろ買わされました。
「あなたにこれ買っといたわよ。はい7000円」という具合です。

そんな日々が続き、1年くらい経ったでしょうか。
私の声が、突然出なくなったのです。
そこで病院の耳鼻咽喉科に行きました。
声帯が紫色に腫れていると言われました。
治療を続けなんとか声は出るようになったのですが、とんでもない声です。
姪には「看板間際の酔いどれオカマみたい」と言われる始末です。

もちろん琵琶も詩吟も、歌うことはできません。
詩吟はやめました。
治療の甲斐あって、なんとか普通に出るようになってきました。

当時私は、日本琵琶学協会の常任理事をしていました。
理事会の時に、秋の演奏会の出演者が足りないと言うので、試しにやってみようかと思い出演することにしました。
なんとか歌えたのですが、後半で1か所高いところの声がかすれました。
私はこんなではとても人前で演奏すべきではない、と思い琵琶を諦めました。
その後体調を崩したこともあり、常任理事も辞任しました。
これで、私の琵琶人生は終わりました。

全て自分の優柔不断さが招いたこととはいえ、Kさんに出会わなかったら今も琵琶をやっていたと思います。

つまらないことを延々と書いて、すみませんでした。
読んでくださって、ありがとうございます。

おわり
2017-11-04 (土) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
Kさんは詩吟をやっているだけあって、声は良く出ます。
でも琵琶歌には、向いていないような気がしました。
言ってみれば、「出しっぱなしの声」なのです。

師匠のお祝いの会のあと、私は食事をするからと呼ばれました。
なんでもKさんのお友達が、お祝いの会を聞きに名古屋から来たので、お礼の食事ということでした。
私は行きたくなかったのですが、ほとんど強制的に参加させられました。
お友達という男性のほかに、詩吟の仲間達が5~6人集まりました。
初対面の人ばかりで、つまらなかったです。

それから少し経って、秋の演奏会にKさんが出るので、まみ子君弾いてやってくれないかと師匠に言われました。
Kさんは、琵琶は全くと言っていいほど弾けません。
それでこれもまた、ご指名なのだそうです。
秋の演奏会は2番手の会で、まだ名流会などには出られない程度の人のための会です。
師匠に言われたので、仕方なく承諾しました。

合わせ稽古を1度して、本番の日を迎えました。
今回は声を外すこともなく、無事に歌いました。
ただお稽古をした時にも感じたのですが、最初から声を張り上げていてメリハリが全くないのです。
でも本人は大満足のようでした。
終わって着替えてから、受付のところを通ったら大御所達が集まっていて呼び止められました。
「弦は良かったわよ」と言っていただきました。
「ただ歌はね~、声はいいけど、もっと琵琶歌を勉強しなきゃね」と言っていました。
このことは、Kさんには黙っていました。

その後、Kさんの私に対する勧誘が始まることになるとは、思ってもいませんでした。

つづく
2017-11-02 (木) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
Kさんとは接することもないまま、日々が過ぎました。
そんな折、師匠が勲5等紫綬褒章を受けました。
お祝いの会はお正月に琵琶学協会でやったので、私達も何かしようということになりました。
そこで師匠の芸道60周年記念の演奏会を開くことにしました。

Kさんは最初から出ないと言っていたらしいので、打ち合わせなどもKさん抜きで行いました。
弟子は全員出演ということで、時間の都合で2人1組で演奏します。
来賓も大物演奏家を何人か招くため、盛大な会になりそうです。
私はよく舞台で掛け合い演奏をしているMCさんと組むことが決まっていました。
そこへ「そんなお祝いの会なら、私だって出るわよ」と、Kさんが言いだしたのです。
ところが組む相手がいません。
もうすでに組み合わせは決まってしまっていたのです。

わがままなKさんは、なんと弦に私を指名してきたのです。
そんなわけで、私は2度出演することになってしまいました。
合わせ稽古もしないまま、当日を迎えました。

さて本番となったら、張り切り過ぎたKさんの声が上がってしまったのです。
琵琶と声の高さが全く合っていないのですが、舞台上で調弦することもできません。
仕方ないので、私はそのまま弾いていました。
気付いてくれるといいなと思っていましたが、駄目でした。
声を外すと、ベテランでも元に戻すのは難しいのです。

あとでKさんは、「なんで合わせてくれないのよと思ったけど、家でテープを聞いたら私の声が高くなってたのね」と言いました。
これを機に、Kさんが私に付きまとい始めたのです。

つづく
2017-10-31 (火) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
今までには数多くの人に出会いましたが、中には嫌な人や困った人もいます。
中でも私が1番迷惑を受けたのは、Kさんという女性です。
Kさんに初めて会ったのは、私が所属する派の琵琶の研修会でした。

派の研修会は、月に一度内輪でやっていました。
そこに見学という形で、Kさんは来たのです。
詩吟をやっている人で、理事長の知り合いということです。
見学者であるにもかかわらず、役員席に堂々と座っていました。

私が演奏を終えて戻るとき役員席の後ろを通ったら、Kさんに呼び止められました。
「ちょっと台本見せて」と言うので、見せました。
その日私がやったのは「別れの盃」という、義士物の一つです。
台本を見たKさんは、「あ、間違い見つけた」と言い「赤垣源蔵」と得意そうに「垣」に力を入れて偉そうに言うのです。
琵琶では「赤埴」を使います。
「赤垣」は歌舞伎の特許だからです。
そのことを理事長が説明すると、「あ、そう」と悪びれる様子もなく台本を返してきました。
私は変な人と思いました。

それからしばらく経って、なんとKさんがうちの会に入門してきたのです。
詩吟ではコロンビアの専属だということを鼻にかけて、態度の大きい人です。
お稽古日は火曜と土曜の午後からでした。
自由に行って、来た順番にお稽古をします。
みんなで集まって、人のお稽古も聞きますし自分のお稽古も聞かれます。
それが勉強になるからです。

ところが師匠はKさんには問題有りと見たのでしょう、彼女だけ時間を決めて水曜日に隔離しました。
ほかの弟子達に悪い影響を及ぼさないようにと、考えたようです。
なので私達はKさんを、仲間だとは思っていませんでした。

つづく