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2020-10-23 (金) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
うちの庭には大きなモミジの木があって、枝を広げています。
その上ジャスミン、羽衣ジャスミン、モッコウバラが絡みついて伸び放題です。
今までは自分で切っていたのですが、いよいよ手が届かなくなりました。
脚立に乗って高枝切狭を伸ばしても、届きません。
枝が前と隣の家の壁にくっついてしまい、気になっていました。

IMG_1726.jpg IMG_1727.jpg IMG_1728.jpg IMG_1729.jpg IMG_1730.jpg こんな具合です。
隣の家はそうでもないのですが、前の家が何かと苦情を言うのです。
何か言われる前に、何とかしなくてはと思っていました。

8月になって偶然新聞のチラシに、植木屋さんの広告が入っていました。
それで早速電話をしてみたところ、見積りに来てくれることになりました。
2軒の家は庭から見ると直角に接しているので、その2面を強剪定して高さも低くして欲しいとお願いしました。
葉が茂った中にキジバトの巣があるので、そこは見えないようにしておいてもらうことも話しました。
モミジは夏はまだ伸びるので、選定は秋になってからのほうがいということでした。

見積書が届いたので、その通りでお願いすることにしました。
キャンペーン中ということで、5000円引きでした。
そして、今月の14日に作業をしていただきました。

IMG_1947.jpg IMG_1949.jpg IMG_1950.jpg こんなにさっぱりとしました。

IMG_1948.jpg 両家の壁にも付いていません。

これで一安心です。
日当たりもだいぶ良くなりました。
密集地で植物を育てるのも、気を遣います。
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2020-10-19 (月) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
久しぶりに花の写真です。
今外で咲いている花達を、見てください。
庭、路地、ベランダの花ですが、場所はごちゃ混ぜです。

IMG_1905.jpg IMG_1906.jpg IMG_1907.jpg 「トレニア」2色です。

IMG_1908.jpg IMG_1909.jpg 「タマスダレ」です。ブロ友さんのharuさんにいただきました。

 IMG_1920.jpg IMG_1921.jpg IMG_1922.jpg 「ミニバラ」の寄せ植えです。赤、濃いピンク、ピンクの3種類が咲いています。

IMG_1923.jpg IMG_1924.jpg IMG_1925.jpg 「ミニバラ・ピーチェ」です。とても小さくて、ミニミニです。

IMG_1926.jpg IMG_1927.jpg 「ツルボ」です。これもharuさんからいただきました。

IMG_1928.jpg IMG_1929.jpg 「ペンタス」の赤です。

IMG_1930.jpg IMG_1931.jpg 「ベゴニア」です

IMG_1932.jpg IMG_1933.jpg これも「ベゴニア」ですが、上のものよりも全体的に小さくて地味です。

IMG_1962.jpg IMG_1963.jpg 「実成アヤメ」です。花も咲いたのですが、気が付きませんでした。地面のほうに垂れてしまうので、たいてい見逃してしまいます。

今は花が少なくて、これくらいしか咲いていません。
これから落ち葉の始末が大変になります^^
2020-10-15 (木) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
大学病院に通院して10何年か経ったころ、S先生はお父さんの後を継いで埼玉県の病院の院長になりました。
その1年後くらいに、大学病院を辞めました。
前から言っていたように、私は草加のクリニックに通うことになりました。
私に関する資料は全てクリニックのほうに移しておいたということです。

S先生には遅刻癖があったので、それは直すべきだと思っていました。
はじめは「偉い人は重役出勤なんだ」とか「離島から通うのも大変だね」などと嫌味を言っていたのですが、直らないので「ほかの先生はとっくに診察始めてるのに、毎回毎回遅刻して。患者舐めてんの!」と凄みをきかせて言ったら、次回から全く遅刻しなくなりました。
下町の姐さんは、怖いのです^^
医師としてというより人間として、時間を守ることは大切です。
苦言を呈したことは、ほかにも色々あって、それで信頼関係が築けた面もあると思います。

入院した当初は、私を担当するのはベテランのT先生だったようです。
ベッドのプレートには、T先生の名前が書いてありましたから。
それで草加のクリニックに通うようになぅてから、「なんで先生が私を受け持つようになったの?」と聞いてみました。
珍しい症例だから、やってみないかと言われたそうです。
病院側も新米のS先生を鍛えようとしたのかもしれません。

苦肉の策のような「神経科」もいつの間にか、堂々と「精神科」の看板を揚げるようになりました。
精神疾患に対する偏見もなくなりました。
内科などでも解決できない体調不良があったら、ためらわず精神科を受診することをお勧めします。

長いこと読んでいただき、ありがとうございます。

おわり
2020-10-13 (火) | 編集 |
こんにちは、まみこです。
退院後、通院することになったのですが、S先生はまだ外来は担当していません。
そこで、予約をしてその日時に上から(病棟は7階)降りてきてくれることになりました。
退院後も先生が変わらなくて、良かったです。
2年後くらいでしょうか、S先生も外来を担当することになりました。
もちろん私は、担当日に通院していました。

しばらくしてから、病名を変更すると言われました。
新しい病名は、解離性障害でパニック障害も併発しているということです。
随分調べて研究してくれたようです。
家で検索してみたら、自分で感じている症状と多分に一致していると思いました。

精神科の病気に対しては研究が遅れていて、いろいろな病気が次々と解明されてきている時期でした。
病名は特定されたのですが、解離性障害に対応する薬はいまだにできていません。
そこで先生が既存の薬を組み合わせて処方している状態です。

大学病院は、先生の移動が多くて3年くらいすると他の病院に移ってしまいます。
S先生は埼玉県にある精神科病院の跡取り息子さんなので、医局は辞めても外来診察日には出張してきていました。
ある時「先生も辞めちゃうの?」と聞いたら、「今のところ大丈夫だけど、辞めたらうちに来て」と言われました。
病院はY市なのですが、付属のクリニックが草加にあります。
「草加なら来やすいでしょ」ということでした。

その後も一生懸命調べてくれたみたいで、原因がどうしても分からない、多分生まれつき脳に変形があるのではないかということになりました。
それだとすると、幼少の頃から感じていた不快な状態も納得できます。

2020-10-11 (日) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
入院が決まりましたが、その時は満室で空き待ちということになりました。
いよいよ入院の日になり、母に付き添ってもらって病院に行きました。
入院手続きが済むと、主治医の先生が迎えにきます。
そこで来たのが、S先生でした。

S先生は初診のときの第一印象が悪く、絶対当たりたくない先生なのです。
入院したくない、帰ると言って、母に説得され渋々病室に行きました。
S先生は研修が終ったばかりの新米医で、私が2人目の担当患者でした。
気に入らないので、面談のときも1週間くらい口をききませんでした。
何も答えないので、「なんで話してくれないの?」と聞かれました。
そこで大嫌いだからだと言って、その理由も言いました。

先生は謝ってくれ、それから徐々に話すようになりました。
案外いい先生でした。
次第に個人的な話もするようになり、先生のこともいろいろ知るようになりました。

入院中はいろいろな検査やテストがありました。
しばらく経ってから、私の病名は何なのか聞いてみました。
身体化障害だということでした。
初めて聞く名前ですが、感情によって体調に異常が現れるのだそうです。

1か月半の入院中にはいろいろありましたが、3月8日に退院してもいいと言われました。
カレンダーを見たら仏滅だったので、翌日の9日に退院することにしました。
先生は「まみこさんでもそういうの気にするんだ。撲9日は休みなんだ」と言うので、8日にお礼の挨拶をしておきました。
9日になったら、休みにもかかわらず来てくれました。
その後は、外来で通院することになります。
2020-10-08 (木) | 編集 |
おはようございます、まみこです。
通院をやめてしまった私ですが、通院をしていてもしていなくても症状に変化はありませんでした。
それ以外に私には過敏性腸症候群という持病があります。
しばらくの間は、具合の悪い時だけ裏の医院に行っていました。
町の開業医ですから、何でも診てくれます。
お腹も風邪も怪我も何でも来いです。
特に過敏性腸症候群は、先生の奥さんも同じ病気だったので良く分かってもらえました。

離人、意識朦朧、立っていることができない、ふらつきなどの症状は相変わらずでしたが、こんなものだと諦めていました。
しばらくして、裏の先生がパーキンソン病になって廃業してしまいました。
そこで新しくできたクリニックに行ってみることにしました。
よく検査をしてくれると評判が良く、院長の専門が大腸だということが決め手になりました。

その後も仕事はますます忙しくなり、琵琶も習っていたので舞台に出ることも多くなりました。
仕事事態は家でしていたので問題ないのですが、納品や打ち合わせで外出することが恐怖でした。
朦朧とした状態で出かけていました。
なるべく電車で行きたいと思っていてもできなくて、タクシーを使うことが多かったです。

5~6社の仕事を請け負っていたので、寝る暇もないくらいでした。
もう限界を感じ、思い切って仕事を全部辞めました。
その1年後です。
酷い幻聴と幻覚が起こり、2週間ほど経ちました。
見かねて母がクリニックに相談に行き、日医大の神経科を紹介されました。
翌日に行くようにということで、母と一緒に行きました。
初診で、入院が決まりました。
2020-10-04 (日) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
昔は精神病に対して差別と偏見がありましたから、東京には世田谷区八幡山に松沢病院という精神病院しかなかったと思います。
なので少し変なことを言ったりしたりすると、「松沢病院に入れちゃうぞ」と言われました。
また奇人変人のことは「松沢病院から出てきた」なんてことも、言っていました.
とにかく精神病は、恥ずかしいことだったのです。

ところが世の中の変化に伴い、心を病む人が増えてきて対応できる病院、医院が必要になったのでしょう。
それでもズバリ精神科と表示するのは憚られたのか、神経科という名称ができたようです。
神経科だと、患者も抵抗なく行くことができるようになりました。

私も高校2年のとき家の裏にあった医院で紹介してもらい、日医大の神経科に通院するようになりました。
ところがどうしても主治医の先生が好きになれないのです。
客観的に見れば、優しいしいい先生なのですが、相性が悪かったのでしょうか、行くのをやめてしまいました。
当時はお茶の水の病院の内科にも通院していたので、そこからできたばかりの神経科の診察を受けることになりました。
神経科の先生は常勤ではないので、普段は内科で診てもらい時々神経科にまわるといった状態でした。

随分いろいろな検査を受けましたが、病名は不明のままでした。
結局不定愁訴ということになってしまうのです。
それでも大学を卒業するまでは、通っていました。
その病院は東京都教職員組合の病院で、本人と扶養家族は無料です。
一般の健康保険は扱っていないので、普通の社会人になると全額自己負担になってしまいます。
そのため大学卒業と同時に、通院もやめてしまいました。
2020-10-01 (木) | 編集 |
こんばんは、まみこです。
今でこそ精神科のお世話になっていることは恥ずかしくもなんともないことですが、昔は精神病=き○がいといわれ隠していたものです。
私が自分におかしな症状が現れることに気づいたのは、まだ小さな頃小学校に上がる前でした。
今になって思えば,あれが離人だったのですが、当時は何が起こったのか分かりませんでした。
離人のほかにも、夜寝ると時々起こる不快な症状もありました。
でもそれが自分だけなのかどうか分からず、口には出しませんでした。
その上不眠症で、夜なかなか眠ることができませんでした。

長時間(と言っても30分くらい)立っていられないことに気づいたのは、中学生の時です。
それまでは長く立っていなくてはならないことが、なかったせいもあります。
小学生のときは朝礼も短かったですし、時間がかかるときは各自椅子を持って集合していました。
中学でも朝礼は短かったのですが、生徒会役員の立候補演説などは皆体育座りをしていました。
ところが3年のときに赴任してきた校長は、やたらと話が長いのです。
それで意識がもうろうとすることが、たびたびありました。

高校に入ったら、朝礼の時間が30分もあり、その上生活指導の教師の話が延々と続くので1時間はかかりました。
当然1時間目の授業は、毎週つぶれていました。
私は初めの頃は出ていたのですが、そのたびに耐えられなくなって保健室に行っていました。
それでは困るので病院に通いはじめました。
病名はありませんでしたが、血圧が極端に上下するということで、診断書を書いてもらい朝礼に限らず長時間立っていなくてはならない行事などは、すべて免除になりました。

当時も解離症状は頻繁にありましたが、説明のしようがないので黙っていました。